医師求人で内科から精神科専門の病院へ転職した体験談

体力的な限界を感じ医師の求人を探すように

体力的な限界を感じ医師の求人を探すように : 小児科も検討しましたが、、、 : 給料は内科より少なくても精神科の方が肉体的に楽

内科の医師として大きな病院で働いていたのですが、毎日来るお客の数がとても多いことから、忙しく働いて日々を過ごしていました。
特に多いのが月曜日や連休明けで、待合室は常に満席状態でした。
若い頃はお客を見ると、頑張るぞと腕を叩いてお客の治療をしていましたが、40歳になり体力が回復しにくくなったせいか、沢山のお客を見ると疲労を感じるようになりました。
子供も大きくなってきて、お金の出費も減ってきたので、もっと楽な場所に転職したいなと思い始めました。
妻といつものように晩酌を楽しんでいると妻が、そろそろ楽な所に移ったらと言いました。
私が何処に行けばいいかなと答えると、小児科か精神科がいいんじゃないかなと妻が言うので、一旦仕事を辞めてから探すことにしました。
病院に辞表を提出すると、私の働きぶりが見事だと考えていた人が多かったのか、私を引き留めようとする人がいて驚きました。
体力的に厳しいので勘弁してほしいと伝えると、それ以上何かを言う人は出てこなかったです。
退職金も出してくれたので、私は今迄有難うと言って病院を後にしました。
2週間ほどのんびりして過ごしたおかげか、今迄の病院勤めの疲労が消えた気がします。
なので次の働き場所を探すため、あちこちを調べてみました。

30歳を超えた年齢で医師をやめて行政の求人に応募

私は東京女子医科大学を、数十年も前に卒業しました。大学5年の時に結婚した救急医の夫とともに、一男一女を育てました。親が医師で子供二人も医者になりました。最初は外科や産婦人科を目指しましたが、当時女性はとらないなどと言われこれでは子供を産めないと女性に寛容だった、東京医科大学の小児科に入りました。今ならセクハラとされかねない発言が当たり前のように横行していた時代です。東京医大の教授が、小児科医は自分の子供を育てて初めて一人前の医師になると励ましてくれました。研修医の時に、2人の子供を相次いで出産しました。当直もある小児科医の生活を、9年間過ごしました。臨床研究でも成果を残してきました。子どもを育てていくためには、母親や夫の協力もありました。子供が入れる保育園や職場の近くのマンションに移ったりして、子育てを続けました。何とかやってこられたのは、周りが理解してくれたおかげです。34歳という年齢の時に思い切って都の衛生局の求人に応募して、公務員生活を始めました。子供を集団で見てより多くの子供たちの健康増進に貢献したいという思いに加え、自分の子供を育てるためには午前9時から午後5時の、定刻の勤務がいいというあこがれもありました。都では地域の母子保健に力を注ぎ、都の母子手帳を改訂したりする仕事にも積極的にかかわりました。

都の保健所は大体3年間で、転勤になります。年齢が50歳になってから、3か所の保健所長を務めました。保健所では小児科医として9年間の経験が役立ちました。議会で病気のことも質問されます。目の前で倒れる人がいれば、応急措置をしなければならない場面もあります。場合によっては採血できたりエックス線写真も読影で来たりするのが望ましい、すぐ行政の道に入るよりも何らかの臨床経験をしてから、保健行政に関与したほうが幅広い視点を得られます。臨床医を経験して保健所長になる人は今も多いです。保健所がある地域の区長や市長ら、地方自治関係者とも親しくしなければなりません。区議会で答弁もあります。保健行政には住民や議員の要求が強くなっています。救急車が来るのが遅いといった苦情などは、後を絶ちません。だんだんと予算もつかなくなり、議員定数を減らされた時には苦労をしました。前向きではない答弁をせざるを得ない時代もありました。政治的な根回しも欠かせません。ですが予算化すれば行政は続きます。と臨床とは違う行政の面白さを味わいました。制約は伴いますが保健所長として、地域保険に創意工夫を凝らせる余地はあります。

地域の保健所は診療所に立ち入り調査ができるなど、権限も大きくなっています。仕事の関係上開業医らと向き合わなければなりません。地元の医師会とは親しく付き合ってきました。開業の先生方とお酒も飲みました。カラオケも付き合わないと下町の人には、受け入れられません。いろんな人と会い各種の式典でも挨拶をしてきました。この仕事は人と接することが好きじゃないとだめです。医療だけでなく法律や予算、社会一般に広い知識が必要です。保健所で仕事をしながらトレーニングを受けました。保健所で働きだしたころは失敗もありましたが、持ち前のさわやかさ、明るさで乗り切ってきました。子育ての経験も時には前面に出してきました。予防接種を怖がる母親がいれば、うちの子には打ちましたよと説明して下痢をしている子供の親には、下痢をした時のレシピまで教えました。がん検診など予防活動にも関わりました。専門の小児科や公衆衛生は保健所勤務には向いていました。大規模な食中毒や感染症の発生があれば、保健所はフル回転します。検査の結果陽性で感染者が出れば、すぐに対処しなければなりません。そんな時は所内一丸になってみんなで頑張りました。率先してやるからみんながついてきてくれました。

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